2022/11/20

2022年作品「時間の肖像Ⅸ・・自画像」

 






拝啓M先生
お祝いのメールありがとうございました。
この展覧会に於ける新聞社賞、これも遅すぎた感はあります。
一つの目標ではありましたが取り組んでいる事の通過点です。
それは30年来理解をもらえにくい仕事に取り組んでいて、ある程度理解を得るには
こんな実績があったらいいのかなあ、と思ったのですが、
ここに辿り着くまで時間が掛かりすぎました

普通の陶芸であれば今回のような受賞を重ねて経歴を箔付けし、デパートあたりの画廊で受賞記念の個展を
開き、入選入賞歴を誇らしげに掲げることを販促にする、私はこうういうやり方は一切考えていません。
私の持つ価値観が世間に受け入れられるものか自分で納得でき自信を持つには必要でした。
これで次のステップへ進めます。それは30年前に考えたあの手のひらにのる小さな土塊です。
世の中に百人の人の中にたった1人でも喜んでくれる人がいたら出す価値があると思っています。
展覧会のこの作品「時間の肖像」はシリーズとしてもう少し先がありますので
来年も続けます。この公募展の会場を借りた個展ですから。
普通個展を開いても観に来てくれる人はせいぜい200人程でしょうが
新聞社主催の展覧会ともなれば、その50倍もの不特定多数の人に観てもらえます。
陶芸が工芸の域をはみ出してもファインアートとしてやっと認めてもら得た思もしています。
ただ、35年前、あの東京の現代美術系画廊「いそがや」での個展がシリーズの始まりでした。
失われて行く時間で死生観を表した取り組みでした、また南日美展のシリース9点は新しい作品ではなく
すでに描いていました。10年前に出品した「時間の肖像1」は35年前に制作して山のアトリエに展示したいたそのものです。
しかし審査評は「現代美術のお手本になるような作品です。哲学的な・・・」と新聞に書かれています。つい笑ってしまいました。
友人O君の事や彼と一緒に移動式陶芸窯を作ったりしながら今を待ちました。
やっとそんなテーマが似合い、受け入れてもらえる老人になったという事でしょうか。
想像してみてください。 円空のような生き方の1人の無名、無冠の老陶芸家がただひたすら小さな壺を造る為に
ロクロを回している光景を。それが私が描いた陶芸家像で作品はその人物像です。
それが目標です。そこまで行き着いたらおめでとう、と言う言葉を素直に噛みしめて喜びたいと思います。
※友人は今死の床について 私に会いたいと言っているそうです。彼はアメリカに骨を埋めるつもりです。
 私は、もう行くことを考えていません。
古川