自画像的作品「時間の肖像Ⅸ」
29日、表彰式でのスピーチ
「35年前、
私の陶芸家としての生き方に決定的な影響を与えた
一枚の手紙を読ませてください。
当時、現代陶芸に取り組み始め孤軍奮闘している私へ
励ましと背中を押し今へ牽引してくれたた一枚の手紙です。
その送り主は ニューヨークで現在も活躍中のアーテストの篠原有司男さんです。
鹿児島では霧島アートの森に買い上げになったダンボール紙で出来たオートバイの作品、や
2006年の大きな個展、今年の正月カラー写真付きで掲載された篠原さんの記事など
記憶されている方も多いかと思います。
”我がソーホーのロフトを訪れた古川君が焼き物屋だと聞き、
思わずお互いの陶芸観に話しがはずんでしまった。
やきものが現代美術と呼べるだろうか。
アメリカ西海岸に住む多くの異色陶芸家たちは
活発なな作品を発表しているが、
まだこのソーホーの大画廊での個展は
今のところ皆無。売れないからだろうか。
しかし、確固たる自己主張、表現形式を追求し続けるアーテストが
それがその成果だと自信を持って発表し得た時、
それが最近多いに期待を持たれ、現代美術のジャンルに
割り込んで来たやきものだとしても、
僕らは眼を見開き、心を全開にして受け止め
、賞味し、拍手を送ろうではないか。
といっても、輝く未来がそう簡単に手に入るものなら誰も苦労しない。
出来上がったやきものをたたき壊すのはたやすい。
粘土コネの時点では、大きさ、形などに
無限の可能性を秘めた造型も、
窯を通過し火あぶりにされ出てきたときは
いじけきったこわれ物でしかなくなり、
初めの純粋な創造精神は窯の制約で形は平凡に曲げられ、
色、肌ざわりまで均一化される宿命、
そのクラフトマンシップと呼ぶマンネリズムが
良し悪しを左右しアートとは遠くかけ離れたものにしてしまう。
古川君の冒険は違う。君の出来上がった焼き物は
見る者に、「これは一体何だ」と云う芸術の初原的で
最重要な質問をあびせる。
これら古川君のセラミック・スクラプチャーこそ
陶芸の固定観念を一掃し、
堂々現代美術の一翼を担いきっているはずだ。
1990年 ニューヨーク 篠原有司男」
私は今回の大賞を頂いた事をこの篠原さんへ胸を張って
報告が出来ます。35年も掛かりましたけど。