2003/11/08

Mさんへ    松崎正治さんという画家

1981年バージニア州のウォーレントンで
過労から病に倒れ緊急入院10日ほど
病院のベッドにいました。
4人の相部屋で することなくテレビを見ていると
番組合間の広告に日本の会社が頻繁に出ていました。
車、カメラ、電器製品・・・・
その度に
「ほら、また日本だ・・・」と冷やかしなのか誉めているのか・・
それらCMは日本人の私にとっては
誇らしいものではなく次第に疎ましいものに感じるようになりました。
品質のいい製品には違いないだろうけど
それらは日本人が考え出したものではなそうだったからです。
日本人として誇りに思えるもは一体どんなものだろうか
病院のベッドで日本へ思いを馳せました。
(日本が世界中からエコノミックアニマルと揶揄された時代で、バブルの時代です)
頭に浮かんだのは田舎の事でした。
松崎正治という画家です。

その2年前、アメリカへ留学する事が決まって
田舎で画家として絵を描き続けていた
松崎先生を報告を兼ねて訪ねました。

当時先生は70歳ぐらいだったと思います。

蔵のある旧家ので
その蔵の2階をアトリエにしていました。
あまり田舎から出ることはなく・・・・
絵を描く事のほかに
地元や県の郷土史の研究や
資料の作成に携わって
アトリエにはそれらに纏わる写真や資料が飾ってありました。

これから留学で渡米する私にとっては
それらが古臭いつまらないものに思えました。

それが2年後アメリカの病院のベッドで
日本人として誇りに思えるものは何だろうか・・・・
考えを巡らせていると行き着いたところは
この松崎先生の研究したり発掘していた
郷土の歴史の蓄積されていたものこそ
・・・・地味なものだけど
私たちが日本人として誇れるものは
そんなものに思えて仕方がありませんでした。

帰国してから実家の父の蔵書にあった
和辻哲郎の「風土」を読み直してみました。
昭和の初期に著された本ですが、
すでに読んでいらっしゃるとは思いますが・・。

印象深い下りがあります。(要約ですが)
・・「文化(独自性)はそれぞれの気候風土によって生まれる・・・
  近代文明(交通、伝達手段の発達に伴い 物は容易に移動できるようになったが
   文化はそうはいかない。
    
 食物に例えるとたとえばスペインの茄子の種子は日本への移動は
 容易に出来る。しかし味(そのものの味や料理による味)
 は移動できない。味は文化にあたる。
 文化(味)は気候、風土、生活風習、歴史、宗教などの影響を受けている。
 昭和の初期ですが、この頃で西洋文明の流入で日本の独自性が失われつつあると
憂えていると述べています。
ここにある独自性は大事なもののように思えます。


                         ※この本はプリンストンへ送ります。

先生の画学生の頃の親友でロスアンゼルスの郊外に住む
画家八島太郎さんへ渡して欲しいと
桜島の絵など手土産物を預かりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E
(八島先生は日本へ帰国されたら良く田舎の松崎先生を訪ねていたそうです。
 よほど親しかったようです。)

※八島先生は1994年カリフォルニアで亡くなりました。
   下の写真は1980年です。
 
 
                  ※八島先生についてはまたゆっくり語りたいと思います。
      話すことは山ほどあります。
      取り敢えずネット検索で見てください。
      たくさんのエピソードの持ち主です。
      アメリカと日本と、太平洋戦争の戦中戦後の話では
      必ず登場する重要な人です。
               


          右)  鹿児島県  郷土史の資料の 表紙を飾った版画の一枚
           

                          画家松崎正治の遺作「河童とホホジロ」
1996年享年86歳
1980年のころの出来事です。
松崎先生は郷土の伝統文化について資料を集めていました。
伊佐盆地の中央を流れる川内川は大雨による氾濫が度々で
これを治めるための水神や河童伝説が多く、語り部でもありました。
30年ほど前、昔から祭られていた水神が河川工事で廃棄されようとしている
ことを知った先生は
その場に祭るように抗議されたところ公的(文化財保護委員とか・・)な役職から外され
しまったそうです。(直接先生から聞きました)
その話をされる先生の手にはライカのカメラがありました。
「これは文化財の資料を作るために必要だったので、先祖伝来の田んぼを売って買いました。
 すこし贅沢かとは思いましたが、後世に残す大事なものですから・・・」



伊佐盆地 正面は霧島連山
松崎先生が絵の題材にされた景色です。二人でよくエドワード・ホッパーの話をしました。
・・・絵を描く対象は身近な生活の中にたくさんあると・・・・。



















                     画家松崎先生の土蔵のアトリエのあった敷地。
     入り口は古い屋根の付いた門があり
     門を通ると母屋の隣に蔵があり
     いかにも旧家のたたずまいでした。

※私が帰国する際挨拶に八島先生を訪ねました。
 「松崎君に土産に持って行って欲しいと棚からスコッチウイスキーのボトルを預かりました。
帰国して届に行くと大そう喜ばれて車で行っていた私へ気遣いされ
「こういう上等のウイスキーは左手に氷水、右手にショットグラスでストレートで飲むに限ります。
 古川さんが泊まれるときに開けましょう。それまで楽しみに栓を開けずにとっておきます。」
・・・・結局開ける機会はありませんでした。
真面目で律義な先生の事、きっと亡くなるまで栓を開けることはなかっただろうと思います。
そんな先生の事を思い出すと今でも胸が熱くなります。
私の手元には松崎先生の作品は数十点あります。
その殆どが田舎の風景や古来の伝統文化をテーマにしたものです。
(※私の父が購入したものです。)

※南日本美術展第1回新聞社賞はこの松崎正治先生です。

※Edward Hopper はニューヨークのホイットニー美術館で観れると思います。
※NHKの日曜美術館を毎週見ています。
  取り上げられる芸術家の人生は紆余曲折があり
  経済、生活面で苦しているケースが大半です。
  この松崎先生も例外ではありませんでした。
  周囲との協調性や社会との適応性については
  持ち合わせていない人は多いようです。(私も含めて)
  篠原有司男さんについて、貧困な生活は絵に対して純粋な姿勢を貫いた
  結果で、ハングリーが絵に向かわせたのではない。とあります。
  ホイットニーではEdward Hopperと並んでJackson Pollock も観たらいいです。
  美術館で絵を観ただけでは読み取れないと思います。
  彼らの伝記を読んでください。
  私は和辻哲郎の「風土」と彼らの絵や生き方と結びつく点が多々あると思います。

 
 
※ 私のアメリカ体験で面白い、とか関心を持ったのは
     陶芸家ではKen Priceという人です(2012年亡くなりました)http://www.kenprice.com/
  年齢でかなりの変遷をみますが、1980年頃から注目されていました。
  住む場所で作風が変わるので どこに住むか探す人だと聞きました。
  本ではCarlosCastanedaです。没頭するほどではありませんでしたが
  1970年代後半アメリカ西海岸で起きた自然回帰論への影響は大きかった本だと思います。
  当時学生(米国)の間ではベストセラーといわれていました。

 アニミズムがMさんの比較文化の対象かは分かりませんが
アメリカ大陸の原住民の間に根付いていたもので
1970年代のベトナム戦争反対や急速な経済発展に伴い自然が破壊されていく
事への反発が特に強かったアメリカ西海岸の学生運動やピッピーの間には
少なからず影響を与えたのは事実だと思います。
※そのころアメリカでは「ユダヤ人と日本人」の著者イザヤ・ペンダサンのように
 カスタネダはどこのだれなのか謎の人物とも言われました。
・・・・当時の流行の文化や若者の気質を理解、受け入れるには
  これらの本を読んだほうがいいだろうと
  本が傷むほど読みましたが 私の体には浸透しませんでした。
帰国して義弟(当時コピーライター)に話すと学生時代に読んでいました。
1981年、モントリオールに尊敬する知人を訪ねるとデザイン事務所を開いていましたが
その名称は「IXTLAN」で、驚いた私は「これはカルロス・カスタネダですか?」と
聞くと「そうです。君も読みましたか・・・」・・と返ってきました。
※真崎義博訳(二見書房)
※関連書 「気流の鳴る音」交響するコミューン 真木悠介
カスタネダはどこか柳田國男(民俗学)に通じるところもあります。