工芸のやきものを導入しています。
轆轤も陶芸窯も備えられていて
大概の子供は轆轤も経験しています。
陶芸で何を学ばそうとしているのか考えてみたことがあります
比較すると違いが見えてきます。
これまで陶芸を学んできて
成り立つ仕組みを知ったうえでさらに工夫するということは大事だと思いました。
人まねでは創作とはいえません。
過去のものや人の作品を参考にはしてもかまいませんが
真似だだけで終われば 自分らしさをどうやって出すか
思考や工夫をしないで終わります。
技術的な部分は進歩するでしょうが
それを繰り返していると頭の創造する部分は
発達しません。
両方がバランス良く必要だと思います。
しかし今は材料や道具を買うもので済ませてしまうので
工夫とか考えるとか 必要としない。
陶芸を教えていた頃、みなさんが自ら思考しないことが悩みの種でした。
陶芸をすることの大きな意味がここにあれば
他に何を教えたらいいのか分からなくなる。
よく習いにきたひとへ、手だけではなく、もっと頭を使ってください
工夫することを考えてください。 と良く口にしました。
でもあまり伝わりませんでした。
5千年1万年前は人はろくな道具もないところ
粘土をこねて、器を作り火で焼いて硬くし
器として使っていました。
買ったものはなく
みんなそぞれ工夫しながら作ったはずです。
せっかっくの機会があっても
頭は思考しなければ劣化するのみです。
40代幼稚園や保育園。
小学校、中学校、高校、教職員を対象のやきものつくりを教えていました。
好奇心を持ち、知ろうとする姿勢、
自分の感情、感覚でそのまま粘土、造形に表すのは
保育園幼稚園の子供達は旺盛でした。
例えば、彼らが興味を持ち作りたいものは
怪獣とか恐竜、動物、自動車、(特に男の子の場合ですが)で、
粘土を持たせて最初のきっかけさえ与えれば
それぞれの思い(イメージ)でそれぞでに勝手に造っていき
みんな個性丸出しで、一緒にやっていて楽しいでした。
轆轤成型のデモストレーションはもちろん、
釉薬掛けして窯に入れる作業も
興味津々で取り囲まれてしまうのです。
それだけに窯焚き後翌日の窯出しは子供達は喜びましたね。
私が陶芸を通して子供達に伝えたかったのは
ものの仕組みやそれが出来るまでの過程を知ることに
興味を持って欲しい事でした。
それらがなかったら、ただ作ったで終わってしまいます。、
大事に扱わないと壊れる焼き物だからこそ
自分で造った”もの”を大事にする心を口で教えるのではなく
自ら養える、子供達に陶芸を体験させるコンセプトと考えていました。
つくりが下手で水が漏るような器でも
与えられた器よりも愛着を持ち大事にしたはずです。
それは質に問題です。
もしそういう経験が無ければ
どういう教え方をするかといえば
「物を大事にしなさい」、とい口で教えるでしょう
「どうして壊したの」とか抽象的です。
具体的では「せっかく買ったのに」・・とか、
子供達がもの大事にしなくてはという自ら感情を養うものではく
与える側の都合で押し付けようとする場合が多いのではと・・・。
「金銭的な価値に置き換えても考えるでしょう。」
・・・高かったのだから大事にしなさい。
せっかく買ってやったのだから・・・・とか・・・・
小学校に入学すると、子供達の頭から消えるのが
感情のままに任せて造形する姿です。
私が思うには
お手本(既成概念)があり、右倣えで 協調していく姿と、
たぶん造った作品が通知表の採点の対象になるかも知れない
とすれば、感情に任せ個性的に作るより
功技的に上手に作ろうとしているかのように見えました。
教師の側にも採点の基準となる物指しがあり、そのために
学年が上に行けば行くほど個性が薄らいでいき
感情を出さなくなる傾向を見てきました。
先生の頭の中の成績をつけるとき使う物指しがはいっていて
子供達はそれを意識してるようにも見えました。
個性のない上手に作られた同じような作品が並びます。
怪獣や恐竜を作らせれば
みんなが篠原有司男さんの作品ばりの
すごい誇張された、
怪獣や動物が現れていました。
思い起こせば
音楽の時間(試験)で
イ短調とは、ト音記号を正確に書けとか
交響曲「田園」の作曲者は、
交響曲の父と言われる人は誰か・・・・・等々
正確に記憶、答えられた人ほど
通知表にいい成績がもらえるのは仕方が無かったことでしょうか。
それだけで悪い成績をもらい音楽嫌いになった人は少なくないと思います。
そう思うのは私だけでしょうか。
図工や美術も同様でした。
また篠原有司男さんが登場します。
私は彼のロフトに足を入れて作品を見て第一印象は
「この人はいったい何を考えているのだろうか、
頭の中はどうなっているのだろうか、
なんと子供ぽいとか(失礼ながら正直そう思いました)
拒絶反応でした。
ワシントンの先生も一体何を学べと来させたのか
分からなく 頭がパニックになりました。
2日目の夜食事しながら、食後飲みながら
陶芸や美術について語り合いました。
篠原さんの事を
(私なりの感じ方ですが)
少年のようにも思えるところがありました。
子供がそのまま大きくなっら感じで、
私が子供の頃から絵が好きで
画家になりたいと夢に思った頃がありました。
そのときの、そのまま大人になったら
この篠原さんのようになったかもしれない、と
考えに至るとパニックは消え、
急速に親しみを抱きました。
30年前 ソーホーのロフトで語ってくれました。
「僕は東京芸大を中退してるんだ。
理由は4年の卒業間際に、学長から直々お呼びが掛かって
何事かと行ってみると、おれに”君はこの学校を退学してくれないか”
言うんだ。わけを聞くと”君には芸大卒の肩書きは必要ないだろう。
十分実力でやっていける人だ”と云いやがってさ、
つまり、俺がこの大学の卒業生だとなれば、この芸大の歴史に
傷が付くと思ったんじゃない、恥だとか・・。そのころおれはろくに大学へは行かないで
外で結構暴れていたもんね。あのネオダダイズムってやつよ。
学校へいくより面白かったもんね。
学長から頼まれて辞めてやったわけよ。俺から辞めてやったんだ。・・」
そんな話しながら、ふと窓際の棚に4、5冊積んである見覚えのある本に
気づきました。
「前衛への道」です。偶然ですが、この本は学生時代に読んでいました。
その著者が目の前の篠原さんだと分かりませんでした。
「この本は読んでいますが、なぜここにあるのですか?」
「そいつは俺が書いたやつだぜ。」
「え、本当ですか!、あ。そうですね。
私は表紙がサイケデリックで帯の岡本太郎の表現が面白かったので
つい最後まで立ち読みしました。よく覚えています。」
「君、立ち読みなんてひどいな、ちゃんと買って読んでよ。
君一人勝ってくれれば俺の懐に印税が入ってくるんだよ。
「それは失礼しました。日本へ帰ったら必ず買います。」
と、そんなわけで書斎の本棚に「前衛への道」があります。
左下の本が「前衛への道」
「ニューヨークの次郎長」の「あとがき」を書かれた
太田克彦さんという人にも縁が会って話をしたことがあります。
そのあとがきにもありますが
日本の生活に溶け込んでいるぶんにはあまり意識しないのだが
ちょっと海外の空気に触れてくると、日本という国がなんとも
異常に見えてくる。そこには単に民族のちがいでは片づかない
何か別な要素があるような気がして不安になる。ここ数年のあいだに
何度かニューヨークを訪ねたが、そのたびに同様の感想をもってきた。
篠原有司男さんの小説「ニューヨークの次郎長」は、そういう意味で
かなり強烈な問題提起になっていると思う。・・・・
・・・・・
高度経済成長をとげている日本にいると、物質的な豊かさと
精神的な豊かさとの関係が見えなくなってしまう。
いま、日本人がみんな小銭をつかむために時間に追いまくられ
大切な面をどんどん削り落としているように感じられてならない。
日本に感じる異常さはそいうところに原因がある。
これまでにアメリカに同化しようと試みた日本人アーテスト、または
アメリカ社会の重圧に抗しきれず帰国してしまった画家の数は多いが
篠原さんはニューヨークにどっしり腰をおちつけ、なおかつ日本人で
あることを自己主張している。
すでに日本の中で上滑りしている伝統とか、歴史的ヒーローが
篠原さんの目には鋭くとらえられなおされ、作品にとりこまれている。
たとえば京都のお寺だとか巡礼、またはお化けや鬼などがあり、
それらがニューヨークの画壇にたいする秘密兵器になっている。
しかもその鉾先は同時に日本の文化状況にも向けられていると
ぼくは確信している。
1985年に太田克彦さんが書かれたことです。
それから私達は何か変わったのでしょうか
話があちこち飛ぶようですが
みんなつながっています。
子供達の成長期に焼き物つくりを体験させるのは
人類ものつくりの原点があるからだとも思います。
是非 ニュージャージーやペンシルベニアの田舎の
中学や高校を覗いてみてください。
帰国されたら日本の小中学校で導入している陶芸との
違いを見てください。