2003/08/17

Mさんへ  ガラス素材の作品は美術か工芸か どっち・・あまり意味は無いようですが

ちょっと解らなくもない妙な話ですが
実際体験した事です。

ガラスはアメリカでも分類では工芸Craftにされる事が一般的です。
友人のSteve TobinはArtist というべきで Craftsmanではないでしょう。
http://www.stevetobin.com/
彼の初期のガラス作品ですが彼のスタジオでの制作風景です
現在の工房は間口が60m奥行き100mのジャンボジェット機格納庫のような
巨大なところです。  
そこも手狭だと言っています。 ホームページで見てください。


彼らはイメージを具体化するためには
既成概念や過去の技術での範囲を超えていれば 決して諦めたり
できる範囲に縮小したりする事(妥協)はしません。
そうやって新しいことに挑んで来ています。 
必要に応じて技法や装置、素材まで作り出しています。
下の写真は2m3mのガラスの作品ですが
トルソーに至っては冷却に数か月(1000度から常温まで下げる期間)掛かりますが
装置等はすべて自作です。
この時は階段状脚立を作り使っていましたが
このあとでは中古のフォークリフトを買って支える人を持ち上げていました。
彫刻家が石や木、ブロンズなどを自己表現の素材にしているだけで
彼らもま たたまたま出会ったガラスを自己表現の素材にしているということです。
油絵の画家が絵の具やキャンバスを素材にしているのも同じでしょう。

私の陶芸でも同じような状況です。
陶芸だから茶碗や皿など実用品を作るのが旨だと
批判めいた意見をもらうことがあります。
陶芸をやっているからといって食器に限定することは
了見が狭すぎる気がします。それでは食えないだろうなんて
心配してもらうのはありがたいですが、
それは余計で大きななお世話でしょう。

一口に陶芸、工芸と言っても
人の数ほど個別な生き方があると思います。
伝統を継承する生き方や仕事も重要です。

ここの場合、
固定観念(既成概念)にとらわれず彼らがそのガラスで何を表現したいのか
何を伝えようとしているのか その中を見て欲しいものです。


この写真を見て彼らが工芸品を作っているようには私には見えませんが。
いかが思われますか・・・。
ベルギーの教会での個展
下がスタジオ(150年前に建てられた農家の納屋の中)
ペンシルベニア州クーパーズバーグ

 ニューヨークの「ミュージアム・オブ・アート&デザイン」
         2008年以前は「クラフトミュージアム」でのSteveの作品Waterfall
       素材は ガラスです
    等身大のトルソーガラスをブロンズの彫刻と同手法で鋳造


下は奥伝三郎君の「BONES」 ベルギーの教会で展示。


彼らがこういうガラスの作品を売って収入を得ることを考えて
制作しているようには思えません。
結果的に売れることは望むでしょうが
それを目的にすることとは異なるでしょう。

 奥君のテーマは彼自身「生と死」だと言っています。

身にまとう地位とか財産とかキャリア、誇りとかさえ、剥ぎ取れば、つまり裸になった姿、
それらは余計なものが無く本当に美しいもので凛として立っていて
自分の熟れの姿をこんな風に望む、
そして誰でも行き着くところはここ、と語っています。

ガラスの作品は美しいけどはかなく折れそうで
くず鉄で出来た頭部は錆びていてやがて朽ち果てる運命を見せている。
いつかは消えてなくなる自分の運命と重なる・・・。と
石や木、鉄の骨でもそれぞれ持ち味があります。
しかしガラスには鉄や木、石などに無い質感、があり
それが彼のイメージする表現に合っていたということですね。

1967年7月16日のニューヨークタイムズ
新聞に写真が掲載された作品は
日本ではあまり評価されることはなく、ニューヨークの画廊へ送り、
その後スイスのローザンヌの美術館の.買い上げになりました。
現在スイスにあります。
彼の作品がドラマチックという表現は 工芸ではなく
          アートだと認めたようなものです。
 
 
            スティブトービンのブロンズ(アフリカで制作)
 

 
Waterfall」はニューヨークの「近代美術館」ではなくすぐ近所の「近代工芸館」(当時の名称)
に展示された事で、美術ではなく工芸だと分類されると
悔しそうに話したことがあります。
一緒に作品作りをながくやって来ている奥君も同様です。
やはり彼の「BONES」も工芸と見なされてきました。
トービンの作品については初期から現在までホームページで見られます。
見てください。
 
ニューヨークのトリニティ教会に設置されているスティブトービンの作品(ブロンズ)
 
 
 
 
今はもうそんな事はないでしょうが
かっては、クラフトに分類されることを悔しがっている時期がありました。
 
私の体験というのは 奥君の作品を通じての事です。
彼が癌で倒れ手術し再発率が80%と宣告されたとき
私は彼に望むことを尋ねると、生きているうちに日本で個展をしたい。
と言いましたので、残された時間に猶予はないと思いましたので最短で、
帰国してすぐ準備に取り掛かりました。
 
彼の個展は、それから半年後の4月、鹿児島の黎明館で開催しました。
ガラスや鉄、ブロンズが素材なので重たく総重量は8トンでした。
ぎりぎりまで制作をしたいと望みましたので
コンテナ輸送(船便)では間に合わなく航空便に切り替えたのはこの時の話です。
航空会社と運送会社に協力を要請
メセナとして異例の待遇を受けました、
2人でニューヨークへ何度も足を運びました。
それらのオフィスは今は無いあのワールドトレードセンタービルでした。
 
解決しなくてはならない課題のひとつは
これがクラフトでなくアートだと証明することでした。
福岡空港で通関の際、
これがクラフト(工芸品は商品)だと関税が掛かり
アートだと認定されると
芸術個展の目的なら商品ではないと見なされ
関税は掛からないのです。
 
お堅い役所の言うことですが
言われてみると納得のいく話です。
奥君は作品制作以外、面倒なことは一切しない人で
この税関へ提出する「これはガラスでできていますが
  工芸品ではなく芸術品です」という申請書は私が書きました。
数ページからなる論文で、フランスやベルギーでの個展の写真とか
アメリカでフェローシップを2回も受けている事など、
ニューヨークタイム記事も添付しました。
 
 
よく書けたと我ながら自信はありましたが、
やぱり税関では心臓に悪い緊張を強いられます。
 
美術品と認められてもらった時の喜びは今でも忘れられません。
 
 一難去ってまた一難やってきました。
 
再び問題がやってきたのはその4年後です。
鹿児島県の湧水町にアートの森(県立彫刻美術館)ができることになり
収蔵するための作品買い上げの公募がありました。
個展が最後だと思っていましたが幸い癌は再発しませんでしたので今も元気です
彼に次の希望を聞くと 地元の美術館に置いて鹿児島の人に末永く観てもらいたい
といいますので、市の美術館、私設の美術館、水族館まで足を運びました。
彼は金は要らない、寄贈でも構わないとまでいいましたが・・・。
そう簡単に買ってもらえるものではありません。
 
 
テレビの番組でドキュメンタリーで残そうと考え
テレビ局へ持ちかけても 作品を美術館へ寄贈することよりも
難しいことと思われました。
しかし奇跡が起きました。
 
その当時 地元テレビ局(民放)の実質的な決定権を持っていたBSさんが
 
この話を引き受けてくれたのです。(長くなりますので経緯は省きます)
全国放送のドキュメンタリー番組で製薬会社のスポンサーも付きました。
「命のモチーフ」1時間番組、
ナレーションはサザエさんのお父さん声役永井一郎さんでした。
 
 
この番組に取り上げられたことを
美術館へのプレゼンテーション用資料に使いました。
 
日本でキャリアや人脈の無い彼の作品を売るには
それなりのツールが必要なのです。
 
 
霧島彫刻の森へ買い上げの申請をしました。
ところが問題が起きました。
県の美術館建設準備室担当課長、学芸員が
わざわざ私の家へ訪ねて来て、
県としては「BONES」は買い上げたい作品候補にあがっているのですが
選考員の一番トップの先生が
「これはガラスだから工芸品になる
 
したがって彫刻の美術館にはふさわしくない。」と
反対されていて、とても難しい状況ですと。
そこで、提案されたのが 作品の素材がガラスでも美術になるという
反論する機会を設けますので 
アメリカの奥さんへ伝えて頂けませんか、論文でも結構です。ということです。
 
 
アメリカへ電話して彼にそう伝え、
その選考会の席で私が読み上げるから、と頼んでも無しのつぶて。
期日に限りがあり、
やっぱり私の役割でした。
 
それまで福岡の税関に出した申請書があることに気づきませんでした。
 「ガラスは工芸で美術ではない」と分類されるのを事前に回避するために
書いたもので、
すでに国の機関が美術と認定してくれている訳ですから
「クラフトか芸術か」今更議論る必要などないと
その資料を県庁へ提出しました。
 
購入に反対された事の理由はそれだけではなく裏事情があり
ただ口実にされていたようでしたが、(詳しいことは省きます)
結局、その後反対されることは無く 買い上げになり
現在 湧水町の霧島アートの森彫刻美術観の展示されています。
 (収蔵作品を定期的に入れ替えますので常時展示ではありません。)
 
展示されているときに観に行くと
学芸員の方が「この作品はこの美術館のシンボル的存在です。」と話してくれます。
 
 
ニューヨークはスティブの作品はウオーク街の近くのトリニティ教会に
設置されていますので是非見てください。
 
奥の作品はコーニング美術館に収蔵されています、が
常時展示されているかは分かりません。事前に
確認が必要ですが、行ってみていいところですです。
ナイヤガラの近くですから
ニューヨークから車(ハイウエイ)で3~4時間です。
彼は2回 アメリカのガラス工業会のフェローシップを受けて
ここに滞在制作しています。
2回受けたのは異例のことです。
・・・ただ、ここでのキャリアが 彼らの作品を
工芸の分野に入れてしまうことは大変皮肉結果になっていると
思います。
スティブでも同じで
以前掲載されていたのは常にクラフトの雑誌でしたし、
ニューヨークの近代工芸館での作品展示(ウオーターフォール)も
そうです。 彼らの作品は誰に目にもアートで
クラフトと見る人はいないでしょう。
その辺は 私のメールによって
先入観を持つことなく 見てください。
また意見を聞かせてください。
 
 
 
 こんなことで悩み苦しんでいるアーテストはたくさん
身近にいるのではないでしょうか。
私はこちらでよくNHKの日曜美術館を見ていますが
そういう人が多いですね。帰国されたらお勧めの番組です。
 
 
 
 

ガラスの骨になる部分はガラスで頭は鉄(廃鉄)で
ガラスはアメリカで制作、頭部は帰国して鹿児島の鉄工所を借りて制作しました。

ガラスを使っているので工芸になり
彫刻美術館にはふさわしくないと選考委員会で美術の専門家先生に拒否された作品です。

奥君は何を言われても馬耳東風、馬の耳に念仏、糠に釘・・・・・で何にも動じないで、
ただひたすら我が道をのんびり行く、という当人には極めて都合のいい性格です。
いつも頭に血が上り壁にぶつかり方策を考え行動するのは私でした。
                         霧島アートの森  高さが5m
                         右端の白髪の人は彼の父上です。
                         海のものとも山のものとも知れない美術の道に入り
                          また重い病に倒れた息子を案じて見ていらしゃったと
                          思いますが、彼はいい親孝行ができたことと思います。
 
                          この3年後に亡くなられました
 
下は制作風景動画              。
 
 
霧島アートの森