2001/08/05

M先生へ アルバータ・ハンター アメリカの子供達

「アルバータ・ハンター」です。
 
D君とプリンストンの中古レコード店へ行ったとき見つけました。
プリンストンはニュージャージ州のあのプリンストン大学の街です。
ニューヨークからだと車で2時間は掛からないでしょう。
クパーズバーグからだと車で1時間半です。
 
伝記本は神保町の古本やです。
いい本だから読んで、とペンシルベニアへ持って行くと
ボストンの知り合いが読ませて、とボストンへ行き、
ボストンでニューヨークのSさんが読みたいとニューヨークへ、
ニューヨークで東京から出張されていたM先生が読まれて、
そしてあの伝記本は鹿児島の友人が持ち帰ってくれました。
 
この伝記を読んだM先生は私へ是非この歌手のレコードがあるなら聴きたいと、
この3枚をCDへコピーして送りましたが一度レコードでお聴かせしたいです。
 


華々しく活躍していたのに突然引退
ニューヨークの病院で80歳まで働き
それから周囲から望まれて歌手として復帰した女性です。
 
1980年代ニューヨークではもっとも治安の悪い時期でした。
グリニッジあたりではビレッジゲートやビレッジバンガード、ブルーノートなどの
有名なジャズクラブがワンステージドリンク付きで7~15ドルで楽しめていました。
が、、知り合いの黒人のベーシストから誘われて140丁目のハーレムの奥深い所まで
昼間の彼らの自宅リハーサルと夜のクラブでの演奏に出かけるようになりました。
ダウンタウンのクラブでの演奏や曲目はだいぶ異なるものでした、
ダウンタウンでは白人や観光客向けと思われるようなわかりやすい楽しめそうなものでしたが
ハーレムのそういう所で演奏する内容は実験的で刺激的なもので驚きました。
ボーカルでも内容が少し違っていて、やっぱり黒人同士だけの中だったからでしょうか、
「虎穴に入らずんば孤児を得ず」でした。
 
ただ当時初めてハーレムに入るのはかなり勇気のいるものでした。
教えられたとおりタイムズスクエアからあのAトレインの北行きに乗ります。
だいたい50丁目のセントラルパークを過ぎるころから あちこち乗り合わせていた
白人はいなくなり、私以外はすべて黒人だけになります。周囲から睨まれているような視線を感じつつ、怯えているように見られると逆に失礼になると、緊張しながら平気を装いました。
145丁目で降り地上に出ると 韓国人の店があったり中国人やアジアの人も結構いまして
安心したものです・・、というより自分が白人ではなく黒人と同じカラードだと言うことに
気づきました。同じカラードを同胞とみている黒人が白人にたいして持つ敵愾心など
持つはずがないのです。 それまで考えた事がありませんでした。
日本人がアメリカではバナナに例えられる意味が分かりました。
見た目は黄色なのに中身は白だと思っていやがる、と揶揄されている意味がです。
 
自宅のリハーサルでは狭い部屋でした。・・そのときの写真があります。
昼食に南部の料理も食べさせてもらいました。
トマトソースの煮込み料理で、鶏肉、ジャガイモ、にんじん、豆類、それにオクラで
とろみが付いていて、・・・・オクラがアメリカにあり小倉ではないと気づいたのはそのときです。
オクラは「おくら」で「小倉」と勝手に思いこんでいました。
 
女性のボーカルも何人か聴きました。
周囲が黒人だけの世界だからか、やや白人をけなすアジっぽい内容が多いように思いました。
そんな場面では 観客は拍手で大受けです。
 
ダウンタウンのジャズとは雰囲気や内容が異なったものでした。
たぶんハーレムまでお足を踏み込まないと そううジャズには出会えなかったでしょう。
 
そうそう、こんな話もしてくれました。
我々は日本へ出稼ぎに行く。ワンステージ30ドルが日本だと数倍で
いい稼ぎになる。しかも難しい曲を頑張ってやらないでもみんなが知っている
古い曲を演奏すれば日本人は、拍手して喜んでくれるので楽だ。
こっちではそういう訳にはいかない。古くさい曲はブーイングもので
新しいものを聴かさないと喜んでくれない。毎回が真剣勝負だ。・・・・
 
 
アルバータ・ハンターが あの人だった、というのに気づいたのは15年後神田神保町の本屋で
「人生を三度生きた女」を「ビリーホリディ」の伝記の隣で見つけた時でした。
 
 
カウントべーシーのステージでの晩年も聴きました。
デクスターゴードンはすっかり虜になりましたが、
晩年薬漬けは見てとれましたし隣の友人が指さしてくれました。
根底には人種差別があったようです。
 

CDでは音質が落ちますが
 雰囲気は伝わると思います。CDは送りますが
機会があれば是非レコードで聴いてください。
 我が家ででも・・。

 
昔、鹿児島にパノ二カというジャズ喫茶がありましたが。
この歌手を私の所で知った友人が「アルバータ・ハンターはありませんか、」と
リクエストすると一枚だけあったそうで、
「この歌手を知っているなんて、あなたは渋いね・・。
これをリクエストするひとなんて滅多にいない。いい歌手ですね。」と言われたと
喜んでいました。
 
2012年7月20日
 
 
 
 
 
この本で思い出しました。
先生がワシントンへ出張の折 ニューヨークでこの私の本と出会われ帰国されて
私へ報告として開口一番に電話で話されたことを・・・。
勿論覚えていらっしゃると思いますが、
「私はアメリカという国をだいぶ誤解していたと思います。
 学生時代から社会人になってからもアメリカという国へは
 多くの疑問を持ち、安保闘争を通じて対立してきました。
 これまでヨーロッパへは良く行きましたが
アメリカへ行くことはありませんでした。
しかし、今回仕事で行く機会を得て、ペンシルベニアで古川さんの友人の家族を知り、
彼らの2人の子どもさんと一緒に過ごしてみて
アメリカのも健全な部分があり、アメリカという国では子供がこんな風に育つのかと知ったら
自分は少し間違っていたかもと思うようになりました。
小学生の子供でも、大人と対等に自分の考えや意見をはっきりと言うではありませんか、
感動しました。今回のアメリカで一番の驚きでした。」
それを聞いて私も自分の家族を褒められたようでうれしいでした。
あの子供達は、長女はボストンの大学からジョンズ・ホップキンス大学の医学部大学院でで脳科学
息子はスティブ・トービンのスタジオでアシスタントをしながら芸術家を目指しています。