2015/11/21

時間の肖像Ⅳ 完


キャンバスに絵の具、石や木、石膏、ブロンズ・・など表現の素材はたくさんありますが土は脆く壊れやすい。1000℃を越す高温で焼けば、より壊れにくくなります。釉薬を使えばより硬くきれいな色も、光沢もつけられます。陶芸はそういう高みを目指して進歩してきたのだと思います。
しかし 私の考えは逆行しています。より高温で焼くに連れて土の持ち味は消えていきます。
実用的な食器としては不向きですが、土を美術の中で表現の素材として見れば 柔らかさとかやさしさ、あやうさ・・などの質感が放つ存在感は他の素材に勝るものと思
います。
私にとって時間というテーマとこの素材は合っていました。
時間(人それぞれに与えられた時間)も永遠のものではなく、あやうさがつきまとい、いつかは消えてなくなるもの・・・
工場生産された機械時計を見ていると、時間はあたかも永遠に存在し続けるような印象を持ってしまいます。希望を与えるかもしれない側面は否めませんが・・。最近は10万年の誤差は±5秒という時計まで目にします。5年後、もしかしたら明日に消えるかもしれない時間なのに・・・。
土で亀裂の入った時計は時間はいつか終わると表現しています。
「会者定離 ありとはかねて聞きしかど きのう今日とはおもわざりし」(法然上人)この言葉のとおりです。
陶の時計は 命のあやうさを語りかけます。それでも正確に今の時を指し、計時具としてちゃんと生きています。