
お互いの陶芸観に話がはずんでしまった。
やきのもが現代美術と呼べるだろうか
アメリカ西海岸、シスコ、ロス郊外に住む多くの異色陶芸家たちは
活発な作品発表をしているが
こちらニューヨークの大画廊での個展はしない
売れないからだろうか
しかし確固たる自己主張、表現主義を追求し続けるアーテストが
それが、その結果だと自信を持って発表し得た時
それが最近大いに期待を持たれ
現代美術のジャンルに割り込んで来たやきものだとしても
ぼくらは眼を見開き
心を全開にして受け止め賞味し
拍手を送ろうではないか
といっても輝く未来がそう簡単に手に入るものなら

誰も苦労はしない
出来上がったやきものをたたき壊すのは安い・・・・・・・・
・・・・・・・
粘土こねの時点は大きさ、形など無限の可能性をひめた造形も
窯を通過し火あぶりにされ
出てきたときはいじけ切ったものでしかなくなり
初めの純粋な創造性は窯の制約で
形は平凡に曲げられ
色、肌ざわりまで均一化される宿命、
そのクラフトマンと呼ばれるマンネリズムが良し悪しを左右し
アートとは遠くかけ離れてしまう。・・
見るものに
これは一体なんだ!という芸術の初原的で最重要な質問を浴びせる
セラミックスクラプチャーは陶芸の固定観念を一掃し
堂々現代美術の一翼を担い・・・
・・・・
そんな陶芸家になってよ・・・・
△ 篠原有司男 (ニューヨーク)http://gyuchang.jugem.jp/