私が写真と講評をお送りしたのは、ネット新聞に掲載されたいというよりも、あなたに読んでいただきたいと思ったからです。
私の陶芸の仕事や日本人の芸術に対する心をもっと知ってもらえるのではないかと思ったからです。
「ものの哀れみ」は日本人の感情です。
私の「ひび割れた陶時計」は、低温で焼いているので壊れやすいのです。
それは失われつつある時間(神が人間に与えた限られた時間)と同じだと表現しています。
もし、友人が病気になって命の危機に陥ったら。
私の作品は、人間は誰でも病気になり、それは時間が途切れるということをテーマにしています。
「人生は限られている。今を精一杯生きよう」これが私が作品で伝えようとしているメッセージです。
そして、評論家やアート関係者は皆、私のコンセプトをきちんと理解しています。
みんな私の作品を見て書いてくれます。
そのコメントからあなたは日本人の死生観や美意識の高さを知ることが出来るでしょう。
これからあなたの質問にお答えします。
私と友人の作品は同じことが日本の茶碗(茶道の器)にも言えます。
私の作品は、茶碗の延長線上にあります。
土でできた茶碗は壊れやすいものです。
日本の茶碗、楽焼きは900度前後で焼成される焼き物です。
土の柔らかさを失っていない焼き物です。
それ以外、萩焼、志野焼、唐津焼などは茶碗の代表的なものです。
いずれも壊れやすい焼き物です。
粘土に耐熱性の珪石多く含まれているから余り焼き締まりません。
固くて焼け難い粘土です
それで、素地に沢山の空気の間隙が残り軽い茶碗です。
一般的には日常生活の食器には不向きです。
その特徴は...。茶碗は壊れやすい焼き物です。
抹茶茶碗は安土桃山時代(戦国時代)の武士の用いるものとして生まれました。
戦場に行く前に、心を落ち着かせるために茶道を行っていました。
戦場での儀式は「野点(のだて)」と呼ばれていました。
武士は戦場の片隅で茶会を開いた。
心を一つにするために、静かにお茶を飲む。
その目的は、戦場で死ぬかもしれないという緊張と恐怖を鎮めるためである。
このことは多くの本に書かれています。
千利休を知っていますか?彼の本は有名です。
現代では、加藤唐九郎が本を書いています。
茶道は(SADOU)といいます。この「ドウ」とは
この「道」は、武士道、騎士道(岸道王)の「道」と同じ意味です。
道を究めるという意味である。
柔道の "DOU "も同じです。
ですから、茶道には非常に重大な意味があるのです。
イギリス人がお茶を飲んでリラックスするティーパーティーとは意味が違いすぎる。
西洋人には理解できないだろう。
だから、茶会用の茶碗はとても重要なのです。
本物の陶芸家はその意味を理解して茶碗を作る。
だから、茶碗はとても高価なのです。
そういう気持ちで作っているから、買う側もそれを理解して、高くても買ってくれる。
江戸時代、ある武士が自分の治める領土と1つの茶碗を交換したと言われています。
その茶碗は貴重なものとして扱われていました。
日本の茶碗にはこのような精神や理念が込められています。
また、茶碗を高く買う人がいるので、お金を稼ぐために茶碗を作る陶芸家もいます。
儲けるために作っている陶芸家もいますが、それは高価なものだからということもあります。
壊れやすいからこそ、大切に扱うのです。
江戸時代の武士は、出陣前に茶会を開いていました。
壊れやすい茶碗を、すぐに戦死してしまうかもしれない自分たちと同じように考えていたのでしょう。
同じ気持ちであったに違いない。
ここに日本人の心、物の哀れさがあります。
それは、千利休の「わびさび」に通じるものがあります。
先に述べたように、茶道を始めたのは武士でした。
そして千利休は豊臣秀吉(将軍)に仕えていた。
私は現代美術として「時の肖像」シリーズの作品を制作しています。
とのことですが、この姿勢は茶道の茶碗を作る精神と同じで、「物を哀れむ」ということです。
だからこそ、「作品をブロンズにしませんか?
と聞かれましたが、私がそのように思わないのは、人間の命は壊れて土に還るという哲学を持っているからです。
伝三郎さんも同じ考えです。
彼の「フィッシュボーン」という作品では、頭の部分が「錆びた鉄」でできているので
いずれ朽ちて土に還る。骨はガラスです。
ガラスもまた、壊れやすい性質を持っています。割れれば土に還るのである。
伝三郎が鉄とガラスを使って作品を作ったのはそのためである。
彼は自分の死生観を作品に表現したかったのだ。
しかし、彼は作品を売るためにアメリカナイズされてしまった。
彼の作品からは日本人のアイデンティティが消えてしまった。
その結果、アメリカでは売れたかもしれないが、日本で売るのは難しい。
その結果、アメリカではそこそこ売れても、日本ではなかなか売れない。
もし、茶碗が割れないものであり
割れにくい茶碗を作ったらどうなるだろう。
かつ落としても割れない丈夫な茶碗を作ったらどうなるでしょうか?
ぜひ、考えてみてください。本物の茶人は絶対に買わないでしょう。
それは、割れない茶碗には「物への哀れみ」がないからです。
伝三郎さんの魚は派手になった。
魚の骨」には彼の死生観が表現されていた。
私は、派手な魚には死生観を感じません。
だから、日本では売れないと思う。
ここにアメリカと日本の価値観の違いがあると思います。
茶道用の茶碗は趣味や遊びだとおっしゃいました。
日本人にとって、茶碗には深い意味があります。
しかし、茶道用の茶碗には「遊び心」があります。
その "遊び心 "のある茶碗を作ったのが「古田織部」です。
彼も1500年頃の武士である。
古田織部の「遊び心」は、茶碗を作るときのあなたの心と似ています。
そして、京都の前衛的な茶人たち
京都の前衛茶人たちは、茶道のために茶碗を作る人を
京都の前衛茶人は、茶道で茶碗を作る人はもっと遊び心があるべきだと考えています。
伝統を破壊して新しい文化を作ろうというのです。マルクス主義のようなものです。
しかし、茶道の伝統を壊すことはできないでしょう。
しかし、500年前から続いている茶道の伝統を壊すことはできません。
茶道の茶碗について理解を深めたいなら
茶道用の茶碗について理解を深めたい方は
利休、織部、加藤唐九郎の本をお読みください。
英訳も出ていると思います。
すでにお読みになった方は、ご無礼をお許しください。
お久しぶりでございます。
茶道用の茶碗についてのご質問への回答です。
茶道用の茶碗についてお答えするのに少し時間をくださいと言ったのは、こういうことです。
話がそれました。
何年だったか忘れましたが、加藤唐九郎はフランスの博覧会に招待されていました。
何年だったか忘れましたが、聞いた話では
パブロ・ピカソが茶碗を見て言った。
パブロ・ピカソが茶碗を見て、それが欲しくなった。
で、最終的には自分が作ったポットというオブジェ的な作品と交換したそうです。
これは本当で、ピカソの作品は瀬戸市のセラミックアートミュージアムに展示されている。
ピカソはなぜ欲しかったのか?
500年前、織部の茶碗は斬新なデザインだったはずです。500年前。
織部の茶碗は斬新なデザインだったはずだ。500年前なら
500年前、織部の茶碗は斬新なデザインだったに違いない。