高校生の時父が購読していた「文芸春秋」に志賀直哉の骨壷の話が・・。
それから15年ほど経って、病床に着いていた父が私を枕元に呼んで
「骨壷を作ってくれ。要望は 白、形は四角、装飾は何も要らない。
ただ名前を俗名で彫ってくれ。それだけだ。」と
「武夫の名前で生きてきたので死んでからもずっとこの名前でいたい。
四角の理由は、墓の中は四角だから、円形の筒だと四隅に無駄な空間が出来る。
死んでから先、無駄をしていたくない。そういうことだ。」と
・・・そう言えばずっと前文芸春秋に志賀直哉の骨壷の話があったけど
覚えている?(私)
「ああ、それよ。」
これだけの会話で意味は通じた。二人ともあの記事は覚えていた。
私があのエッセイを読んだとき陶芸家って
人の人生をも包含する器を作る仕事なんだ・・・・・
すごいな・・・
と感想を持った。(陶芸家になろうとはまだ思っていなかった)
浜田庄司が友人志賀直哉のために作った骨壷にまつわる内容で。
志賀直哉は友人の文筆家の通夜に駆けつけると
祭壇に素焼の骨壺が置いてあるのに気付き
「私は友人の陶芸家に骨壺を作ってもらっている。
もしよろしければそれを使って欲しいのですが・・・。私は友人にまた作ってもらうから・・」と。
申し入れを受け入れてもらった志賀直哉は自宅に戻り
台所に置いてあった塩壺(砂糖かどちらか)を中身を空けて
その壺を持ち再びお通夜へ行った。
骨壺というものは普段生活の中で使い馴染んだ物を使うのがいい。
そんな内容のエッセイだった。
食器や花瓶を作るのが陶芸家の仕事と思っていたところに
この骨壺の話で陶芸家という職業のへの認識が変わった。
父は私が作った骨壺を枕元に置き
見舞いに来る人に説明していた。
「見舞客に骨壺の話を持ち掛けるとその人の人生観が分かるので面白い。」と
語ってくれた。
死んでしまえば 本人はどんな壺なのか分からないわけで
こういう骨壺は生きているうちに意味があることで・・。
母は98歳で健在。
志賀直哉と浜田庄司の骨壺にまつわるエッセイは
私の陶芸観に否応なしに大きい影響を与えました。
父の骨壺